日本史講座 日本史史料の攻略(戦国大名の分国法)

 
◆分国法1◆   ◆参考資料:「分国法」および「家訓」一覧
出典『朝倉英林壁書』
一 朝倉か館之外、国内□城郭を構へさせましく候。惣別分限あらん者、a一乗谷へ引越、郷村には代官計り置かるべき事。
注釈: a:越前守護である朝倉氏の居館所在地。
 
◆分国法2◆
出典『甲州法度之次第』
一 内儀を得ずして、他国へa音物書札これを遣はす事、一向にこれを停止し畢んぬ。
一 私領・名田の外、b恩地領、左右無く沽却せしむる事、これを停止し訖んぬ
一 喧嘩の事、是非に覃ばず成敗を加ふべし。但し取り懸ると雖も堪忍せしむるの輩に於ては、罪科に処すべからず。
注釈: a:進物手紙。 b:『貞永式目』の影響。
 
◆分国法3◆
出典『今川仮名目録』
一 駿府の中、不入地の事、これを破り畢んぬ。各異儀に及ぶべからず。
一 a駿・遠両国の輩、或わたくしとして他国よりよめを取、或ハむこに取、むすめをつかハす事、自今以後これを停止し畢んぬ。
一 不入の地の事、代々の判形を戴し、各露顕の在所の事ハ沙汰に及ばず。新儀の不入、自今以後これを停止す。
注釈: a:駿河遠江とおとうみ)の両国。
 
◆分国法4◆
出典『塵芥集』
一 盗賊に付て、a親子の咎の事、親の咎ハ子にかけへし。但し子たりとも、遠き境、談合なすへきやうなくハ、これをかけへからす。同じく子の咎親にかけへからす。但しひとつ家に候ハヽ同罪たるへし。又時宜によるへきなり。
一 百姓、地頭の年貢所当相つとめす、他領へ罷り去る事、盗人の罪科たるへし。仍かの百姓許容のかたへ、申届くるのうへ、承引いたさす候ハヽ、格護候族同罪たるへきなり。
注釈: a:いわゆる縁坐を規定したもの。
 
◆分国法5◆
出典『長宗我部元親百箇条』
一 喧嘩口論堅く停止の事。……此の旨に背き、互に勝負に及ばば理非に寄らず、a双方成敗すべし。若し一方手出し仕るにおいては、如何様の理と雖も、其の者罪科に行はるべき事。
注釈: a:いわゆる喧嘩両成敗法
 
◆自治都市の発展◆
出典『耶蘇会士日本通信』
 の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。此町はべニス市の如くa執政官に依りて治めらる。                   一五六一〈永禄四〉年八月十七日
 
 日本全国当の町より安全なる所なく、他の諸国に於て動乱あるも、此町には嘗て無く、敗者も勝者も、此町に来住すれば皆平和に生活し、諸人相和し、他人に害を加ふる者なし。市街に於ては嘗て紛擾起ることなく、敵味方の差別なく皆大なる愛情と礼儀を以て応対せり。市街には悉く門ありて番人を付し、紛擾あれば直に之を閉づることも一の理由なるべし。紛擾を起す時は犯人其他悉く捕へて処罰す。然れども互に敵視する者町壁外に出づれば、仮令一投石の距離を超えざるも遭遇する時は互に殺傷せんとす。町は甚だ堅固にして、西方は海を以て、又他の側は深き堀を以て囲まれ、常に水充満せり。
                         一五六二〈永禄五〉年、ガスパル=ヴィレラ書簡
注釈: a:当時、市政を執っていた会合衆
 
◆鉄砲の伝来◆
出典『鉄炮記』
 a天文癸卯秋八月二十五日丁酉、我が西村の小浦にb一大船有り、何れの国より来れるかを知らず、船客百余人、其の形類せず、其の語通ぜず、見る者以て奇怪と為す。……賈胡の長二人あり。一は牟良叔舎と曰ひ、一は喜利志多佗孟太と曰ふ。手に一物を携ふ。長さ二三尺、其の体為るや中は通り外は直くして、重きを以て質と為す。……聞く者、其の耳を掩はざるは莫し。……c時尭其の価の高くして及び難きを言はず、而ち蛮種の鉄炮を求め以て家珍と為す。
注釈: a:1543年。 b:中国船。倭寇として知られる王直の船。 c:種子島の領主、種子島時尭
 

 
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