日本史講座 日本史史料の攻略(御成敗式目の制定と元寇への経緯)

 
御成敗式目の制定の趣旨
出典『御成敗式目』・唯浄裏書本
 御成敗候べき条々の事注され候状を、目録とな付くべきにて候を、さすがに政の躰をも注載られ候ゆへに、執筆の人々さかしく式条と申字をつけあて候間、その名をことゞゝしきやうに覚え候によりて式目とかきかへて候也。 其旨を御存知あるべく候歟。さてこの式目をつくられ候は、なにを本説として被注載之由、人定めて謗難を加事候歟。ま事にさせる本文にすがりたる事候はねども、たゞどうりのおすところを被記候者なり。この状は法令のおしへに違するところなど少々候へども、たとへば律令格式はまなを知りて候物のために、やがて漢字を見候がごとし。かなばかりをしれる物のためにはまなにむかひ候時は人の目をしいたるが如くにて候へば、この式目は只かなをしれる物の世間におほく候ごとく、あまねく人に心得やすからせんために、武家の人へのはからひの為ばかりに候。これによりて京都の御沙汰、律令のおきて聊も改まるべきにあらず候也。……
  a貞永
    九月十一日    b武蔵守在(判)
   c駿河守殿
注釈: a:貞永元年(1232年)。 b:当時執権の座にあった北条泰時。 c:泰時の弟で、六波羅探題北条重時
 
御成敗式目
出典『御成敗式目』
一 諸国守護人奉行の事
 右、a右大将家の御時定め置かるる所は、大番催促謀叛殺害人付たり。夜討・強盗・山賊・海賊等の事なり。しかるに近年、代官を郡郷に分ち補し、公事を庄保に充て課せ、国司に非ずして国務を妨け、地頭に非ずして地利を貪る。所行の企て、甚だ以て無道也。抑、重代の御家人たりと雖も、当時の所帯無くは駈り催すに能はず。兼て又所々の下司庄官以下、其名を御家人に仮り、国司・領家の下知を対捍すと云々。然るがごときの輩、守護役を勤むべきの由、縦ひ望み申と雖も、一切催を加ふべからず。早く右大将家御時の例に任せて大番役并に謀叛殺害の外、守護の沙汰を停止せしむべし。
一 諸国地頭、年貢所当を抑留せしむるの事
 右、年貢を抑留する由、本所の訴訟あらば、即ち結解を遂げ勘定請くべし。犯用の条、若し遁るる所無くば、員数に任せてこれを弁償すべし。……
一 御下文を帯ぶると雖も知行せしめず年序を経る所領の事
 右、当知行の後、廿ヶ年を過ぐれば、大将家の例に任せて理非を論せず改替するに能はず。而るに知行の由を申し、御下文を掠め給はる輩、彼の状を帯ぶると雖も叙用に及ばず。
一 女人養子の事
 右、b法意の如くばこれを許さずと雖も、大将家御時以来、当世に至る迄、其の子無きの女人等、所領を養子に譲り与ふる事、不易の法勝計するべからず。加之、都鄙の例先蹤これ多し。評議の処尤も信用に足れるか。
注釈: a:源頼朝。 b:律令の規定。この条項から鎌倉時代の女性の地位は比較的高かった事が分かる。
 
◆元寇への経緯◆
出典:『東大寺尊勝院文書』
 上天の眷命せるa大蒙古国皇帝、書をb日本国王に奉る。朕惟ふに、古より小国の君は境士相接すれば、尚ほ講信修睦に務む、況んや我が祖宗、天の明命を受け、区夏を奄有す。遐方異域の威を畏れ徳に懐く者、数へつくすべからず。……高麗は朕の東藩なり。日本は高麗に密邇し、開国以来、亦時として中国に通ぜり。朕が躬に至つて、一乗の使も以て和好を通ずること無し。尚王の国これを知ること未だ審ならざるを恐る。故に特に使を遣わし、書を持して朕が志を布告せしむ。冀わくば今より以往、問を通じ好を結び、以て相親睦せむ。且つ聖人は四海を以て家と為す。相に通好せざるは、豈に一家の理ならんや。を用ふるに至るは、夫れ孰か好む所ならん。王其れこれを図れ。不宣。
  至元三年八月 日
注釈: a:フビライ=ハン。 b:亀山天皇。大覚寺統の祖としても知られる。
 

 
 最上部へジャンプ   日本史講座へ戻る