早稲田大学日本史過去問(社学98)・明治時代の政党政治史


V 次の文を読み、問1〜問10に対する最もふさわしい答えを、イ〜ニから一つ選び、マーク解答用紙に記せ。
 
 日本の政党政治は帝国議会の創設で新しいステージに入った。帝国議会は衆議院と( (1) )で構成された。前者は公選議員で、後者は皇族・華族・勅選議員・多額納税者で構成された。議員を選出するために衆議院議員選挙法が公布された。選挙権は直接国税(地租または所得税)15円以上をおさめる満( (2) )歳以上の男子にのみ与えられた。このハードルは非常に高く、全人口の僅か約1%強の約( (3) )万人に過ぎなかった。普通選挙への道はまだまだ遠かった。その後、1946年4月総選挙で初めて女性の参政権が実現した。
 1890(明治23)年7月に実施された第一回衆議院議員総選挙では立憲自由党や( (4) )などの(a)民党が圧勝した。総議員数300名のうち立憲自由党が130議席、( (4) )が41議席を占めた。ただし、世論の支持を背景にした政党政治がこの時点で誕生したわけではない。それまでにはまだ何度か選挙を経験しなければならなかった。政府は政党や議会の意思には左右されないといういわゆる超然主義の立場を表明していた。
 1898(明治31)年、立憲自由党と進歩党が合同して( (5) )が結成された。政党は着実に力を拡大し、政府に対立してきた。藩閥政府もこうした政党政治の流れを的確に読んでいた。もはや政党の支持なしには政権を維持できない。藩閥政府は政権を投げ出した。代わって成立したのが( (6) )を首相に、( (7) )を内務大臣にした最初の政党内閣であった(1898年6月成立)。この内閣は僅か約4か月で倒れた。
 内閣崩壊の引き金になったのはいわゆる共和演説事件で、( (8) )が文部大臣を辞任したが、その後任人事で対立が頂点に達したことであった。文字通りの短命政権であった。だが、かつての反・政党論者も次第に政党が不可欠であることを確実に認めるようになった。そして1900年には、伊藤博文を総裁とする( (9) )が結成された。市民と権力を繋ぐ政党の役割・機能を抜きにしては議会政治を運用できない時代の到来である。
 
問1 空欄(1)に入る最もふさわしい語はどれか。
 イ 元老院   ロ 参議院   ハ 枢密院   ニ 貴族院
問2 空欄(2)に入る最もふさわしい数字はどれか。
 イ 18   ロ 20   ハ 25   ニ 30
問3 空欄(3)に入る最もふさわしい数字はどれか。
 イ 10   ロ 45   ハ 60   ニ 80
問4 空欄(4)に入る最もふさわしい語はどれか。
 イ 自由民主党   ロ 革新倶楽部   ハ 立憲改進党   ニ 愛国公党
問5 空欄(5)に入る最もふさわしい語はどれか。
 イ 自由民主党   ロ 憲政党   ハ 立憲帝政党   ニ 立憲政友会
問6 空欄(6)に入る最もふさわしい人名はどれか。
 イ 西園寺公望   ロ 大隈重信   ハ 星亨   ニ 原敬
問7 空欄(7)に入る最もふさわしい人名はどれか。
 イ 大山郁夫   ロ 板垣退助   ハ 桂太郎   ニ 山県有朋
問8 空欄(8)に入る最もふさわしい人名はどれか。
 イ 三木武吉   ロ 尾崎行雄   ハ 斉藤隆夫   ニ 高田早苗
問9 空欄(9)に入る最もふさわしい語はどれか。
 イ 自由民主党   ロ 憲政党   ハ 立憲帝政党   ニ 立憲政友会
問10 下線部(a)の政党とは違い、大成会など、政府を支持する議会内勢力はどう呼ばれたか。
 イ 吏党   ロ 包括政党   ハ 国益党   ニ 私党
 
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