W 次の文を読んで、下記の問いA,Bに答えよ。
帝国海軍が4年余の歳月をかけて建造した「大和」と「武蔵」は、日本が工業技術の総力を結集した当時世界最大の戦艦であったが、一面でそれはまた、幕末の黒船出現でおどろき、以後の軍備目標の1つを「堅船利砲」に置いてきたことの結果でもあった。
16世紀に、 (A) が鉄砲の輸出国になったのは、国内製鉄業の発達によるものであるが、日本では16世紀の後半に鍛冶職人による鉄砲の製作がはじまり、19世紀半ばになると (B) の書物を教本にして反射炉が築かれ鉄砲が製造された。
軍艦建造のための鋼板の国産化は、官営製鉄所の操業以降のことであるが、そこでの炉の設計や運転のための技師・職工長は、 (C) に依頼しなければならなかったし、原料である鉄鉱石購入については、製鉄所長官みずからが (D) に出向いて売買契約を結んでいる。
日清・日露の戦争で使用された日本の軍艦が、多く外国製であったことは知られているが、シーメンス事件の関連で明らかになったことの1つは、日本がなお大型艦を (E) に発注していたことである。この事件のあとの第1次世界大戦がもたらした好景気の中で、急速に事業を拡大してきた鈴木商店は、1万トン級貨物船3隻を発注して世間を驚かせた。
昭和に入って、ロンドン条約の調印と批准に当面した内閣は、軍や右翼の反対に抗して、不況にあえぐ民衆の支持を得て条約の批准にこぎつけ、次いで、企業の体質強化を目的として、私的経済活動を国家が援助する経済政策を実施した。しかし、社会的不公平は拡大し、その救済などによる公債残高の増大のため、この内閣が意図した金解禁による産業の国際競争力回復の計画は、夢と消えたのである。
A 下記の問い(1)〜(9)の答えをそれぞれイ〜ハから選び、マーク解答用紙に記せ。
(1) 第1次世界大戦の勃発に際し、当初、中立を表明していた日本に対しドイツ東洋艦隊の牽制を求めてきたが、間もなく、日本のアジア・太平洋地域への進出を警戒して、この申し入れを取り消してきた国はどこか。
イ アメリカ ロ フランス ハ イギリス
(2) ベルサイユ条約調印の年を前後して、日本の産業別生産額の指数に画期的な変化が現れたが、これに伴って租税の構成にも変化が生じた。第1次大戦時に比べ伸び率が著しかった租税収入源はどれか。
イ 地租 ロ 所得税 ハ 法人税
(3) 「溶鉱炉の火は消えたり」で有名な大争議が起きた翌年、今度は別の地域にある2つの造船所で3万5千人規模の大きなストライキが起きた。この時のストライキに参加していない造船所はどれか。
イ 川崎造船所 ロ 長崎造船所 ハ 三菱造船所
(4) 1919(大正8)年の7周年大会で、名称変更とともに労働組合的綱領をもつようになった団体がある。この団体は次第に階級闘争主義に傾いていったが、しかしやがては、1940(昭和15)年設立の労資協調路線をとる新団体に包含されていった。この新団体とはどれか。
イ 日本労働組合評議会 ロ 日本労働組合総同盟 ハ 大日本産業報国会
(5) 鈴木商店の破産で始まった金融恐慌に対して、代わったばかりの内閣は、緊急勅令による3週間のモラトリアムを発すると共に、全国の銀行を2日間休業させパニックの沈静化に努めた。この時の大蔵大臣は誰か。
イ 高橋是清 ロ 井上準之助 ハ 片岡直温
(6) 諸外国に10年ほど遅れて、日本が金本位制に復したのは1930年であった。しかし、輸出振興という政府の目論見ははずれ金の流出だけが目立ったので、1931年にイギリスが金本位制から離脱したのを機に、日本も同じ措置をとった。この離脱した時の内閣総理大臣は誰か。
イ 浜口雄幸 ロ 犬養毅 ハ 岡田啓介
(7) 財閥がいわゆるコンツェルンとしての姿を現したのは第1次世界大戦前後であり、日中戦争が始まった頃には8大財閥と世間で口にされるようになった。この8つのうちに入らぬ財閥名はどれか。
イ 日産 ロ 大倉 ハ 古河
(8) この時のロンドン条約は、日本海軍の要望が受け入れられずに調印されたので、後の第2次ロンドン条約の会議で、日本はアメリカと対立して条約から脱退、以後、日本の建艦は無制限になった。この脱退した年はいつか。
イ 1930年 ロ 1933年 ハ 1936年
(9) 1943年9月、日本軍は「絶対国防圏」の南方ラインをこの地にまで後退させたが、不沈艦といわれた「武蔵」が戦闘により沈没したのは、この附近の海域であった。それはどこか。
イ ジャワ島 ロ フィリピン群島 ハ 硫黄島
B 文中の空欄(A)〜(E)に入る国名を記述解答用紙に記せ。