V 次の文(1)、(2)を読み、下記の問いA、Bに答えよ。
(1) 明治維新後の日本にとって、経済の近代化は最重要課題であり、その中で貨幣・金融制度の整備は焦眉の急であった。 維新政府は、その財政が全くおぼつかないものであったため、福井藩から参与に登用した a の建議に従って、1868年から翌年にかけてb両単位の紙幣の発行に踏み切った。
こうした緊急措置と並んで、新しい貨幣・金融制度確立へ向けての試みも行われ、c1871年には新貨条例が発せられ、円・銭・厘の単位が定められた。この条例では、日本は制度上原則的には d 国たることを目指していた。
しかし、未だ安定的な兌換制度に基づく貨幣・金融制度を構築できなかったため、1872年に国立銀行条例が制定され、貨幣発行権を有する銀行の開設が図られた。けれども、e1873年に第一国立銀行が設立されたものの、その後、国立銀行の設置は低迷した。 このため、政府は兌換制度実現を当面放棄し、1876年に国立銀行条例を改正し、国立銀行設立要件を緩和した。これにより、国立銀行の設立が活性化し、最終的には f 行の開設を見た。
ところが、西南戦争後激しい物価騰貴が起こり、あらためて安定した兌換制度の必要性が痛感されるにいたった。g明治14年の政変で h に代わって大蔵卿となった松方正義は、従来の国立銀行政策を転換し、新たに設立する中央銀行に兌換券を一元的に発行させることとした。
(2) 明治20年代になると、皮相な欧化主義に反発する思想の台頭が見られるようになった。例えば、『日本風景論』の著者が創設に参加した i や陸羯南が1888年に創刊した新聞 j などがこうした思潮に沿うものであった。 また、k1890年の「教育勅語」渙発の後、国家主義者や神道家からの中傷を受けてl学校教師がその職を解かれる事件が散発した。日清戦争の勝利、mそれに続く対露関係の緊迫化も、こうした風潮に拍車を掛けた。
しかし、日露戦争が終結すると、一部で国家的危機意識の弛緩が起こり、国家的目標と個人的目標のズレが表面化する傾向が現れ始めた。文芸の世界においても、日露戦争前後の時期から、人間と社会の厳しい現実をありのままに描こうとする自然主義が台頭してきた。 また、日露戦争後の文壇では、雑誌『白樺』によった文学者たちが人道主義・理想主義的主張を展開し、そのうちの一人は、個人の自我の成長と相互協調の実現を目指す共同体の建設を図り、n1918年に宮崎県内に農場を開設した。だが、国家主義的思潮が消え去ったわけではなかった。 『白樺』創刊の年に行われた o は、そうした国家主義的思潮と無縁なものではなかったし、またその後の日本の外交政策を大きく規定することとなった。
A 下記の問い(1)〜(10)の答えをそれぞれイ〜ニから選び、マーク解答用紙に記せ。
(1) 下線部bに該当するものはどれか。
イ 太政官札 ロ 開拓使兌換証券 ハ 新紙幣 ニ 改造紙幣
(2) 下線部cの年に行われなかったものはどれか。
イ 東京・大阪間郵便開始 ロ 田畑勝手作許可 ハ 廃藩置県 ニ 太陽暦採用
(3) 空欄dに当てはまるものはどれか。
イ 金本位 ロ 金銀複本位 ハ 銀本位 ニ 管理通貨
(4) 下線部eの年に組織された啓蒙的思想団体の会員の著作でないものはどれか。
イ 『泰西国法論』 ロ 『人権新説』 ハ 『一年有半』 ニ 『帝室論』
(5) 空欄fに当てはまる数字はどれか。
イ 53 ロ 153 ハ 253 ニ 353
(6) 空欄iに当てはまる思想結社はどれか。
イ 民友社 ロ 愛国社 ハ 青鞜社 ニ 政教社
(7) 空欄jの新聞名を何というか。
イ 二六新報 ロ 時事新報 ハ 東京電報 ニ 都新聞
(8) 下線部lの事件に関連して「教育ト宗教ノ衝突」を発表し、キリスト教を攻撃したのは誰か。
イ 元田永孚 ロ 井上哲次郎 ハ 清沢満之 ニ 小崎弘道
(9) 下線部mの状況下で、朝鮮における日露両国の権益を調整するため、いくつかの日露間取り決めが調印された。それに該当しないものはどれか。
イ 小村・ウェーバー覚書 ロ 山県・ロバノフ協定 ハ 西・ローゼン協定 ニ 桂・タフト覚書
(10) 空欄oは何か。
イ 南満州鉄道株式会社設立 ロ 帝国国防方針決定 ハ 韓国併合 ニ 日英同盟協約調印
B 下記の問い(11)〜(15)の答えを記述解答用紙に記せ。
(11) 空欄aの人物に大きな影響を及ぼした熊本出身の儒学者は誰か。
(12) 下線部gの事件で小野梓は会計検査院検査官を免官になったが、同事件の2年ほど前に彼が中心になっていた政治学術研究グループが「私擬憲法意見」という憲法案を作成していた。そのグループを何というか。
(13) 空欄hに当てはまる人物は誰か。
(14) 下線部kの時の内閣総理大臣は誰か。
(15) 下線部nの農場を何というか。