早稲田大学日本史過去問(教育98)・元寇における文永・弘安の役


U 次の文章を読み、問1〜10に答えよ。問1〜8については、それぞれの解答を選び、マーク解答用紙の記号をマークせよ。問9・10については、それぞれの解答を記述解答用紙に記入せよ。
 
  1 にアジア・ヨーロッパ大陸にまたがる大帝国をつくりあげたモンゴル遊牧民族は、やがてフビライが大汗となり、中国を征服するため、都を現在の 2 に定め、国号を元と改めた。さらに高麗を征服しようとしたが、高麗王の親衛隊であった 3 が蜂起し、民衆とともに抵抗を続けた。ようやくこれを鎮圧したモンゴルは、日本にも使者を派遣し服従を求めてきた。しかしその時の鎌倉幕府の 4 はこの要求をすべて拒絶したので、文永11年10月、モンゴル・高麗連合軍は、対馬・壱岐を襲い、博多湾に上陸した。これを迎え撃った九州の御家人等と激戦を展開したが、モンゴル軍の集団戦法や火器に苦しめられ、かつて天智天皇の時代、外敵の侵入に備えて構築していた大宰府の 5 まで後退する有様であった。しかしモンゴル軍は大宰府を攻撃することなく、博多湾から引き揚げた。鎌倉幕府は再度のモンゴル襲来に備えて、九州の御家人に命じて、 6 に石築地を構築して防備を強化した。この時九州の御家人たちに課せられた軍役のことを A と呼ぶ。弘安4年5月、高麗の合浦を発した B 軍と、中国の慶元を発した 7 軍が合流して日本を攻撃する予定であったが、一方の軍船の到着が遅れたため、合流する前に一方の軍船だけで攻撃を開始したので、日本軍の反撃を受けて撃退された。そこで両軍が合流して再度攻撃の機をうかがっていた閏7月1日、大暴風雨がこの地方一帯を襲い、 8 付近に集結していたモンゴル軍船は潰滅してしまった。
 
問1 空欄1に該当するのはどれか。
 ア 12世紀のはじめ    イ 13世紀のはじめ    ウ 13世紀の後半
 エ 14世紀のはじめ    オ 14世紀の半ば
 
問2 空欄2に該当するのはどれか。
 ア 包頭   イ 大同   ウ 北京   エ 開城   オ 西安
 
問3 空欄3に該当するのはどれか。
 ア 御家人   イ 三別抄   ウ 非御家人   エ 凡下輩   オ 奉公衆
 
問4 空欄4に該当するのはどれか。
 ア 執権北条貞時    イ 執権北条泰時    ウ 執権北条時頼
 エ 執権北条時宗    オ 連署北条時宗
 
問5 空欄5に該当するのはどれか。
 ア 金田城   イ 基山城   ウ 怡土城   エ 水城   オ 大野城
 
問6 空欄6に該当するのはどれか。
 ア 九州西沿岸   イ 博多湾沿岸   ウ 筑前国沿岸   エ 大宰府周辺   オ 対馬・壱岐
 
問7 空欄7に該当するのはどれか。
 ア 江北   イ 北宋   ウ 江南   エ 江東   オ 北路
 
問8 空欄8に該当するのはどれか。
 ア 肥前国五島   イ 壱岐瀬戸浦   ウ 筑前国能古島   エ 博多湾内   オ 肥前国鷹島
 
問9 空欄Aに最もふさわしい語句を記せ。
 
問10 空欄Bに最もふさわしい語句を記せ。
 
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