早稲田大学日本史過去問(教育97)・アイヌ・沖縄史と部落開放・女性史


W 次の文章を読み、下記の問1〜8に答えよ。問1については、それぞれの解答を記述解答用紙に記入せよ。問2〜8については、それぞれの解答を選び、解答欄のその記号をマークせよ。
 
 (a)国民の権利や人権問題という視点から日本の近代を考えると、さまざまな問題があり、また解決のためのいろいろな運動があったことが分かる。同一化あるいは国民統合のもとに、伝統的文化が破壊されたり構造的差別を受けることになったのが、アイヌ民族と沖縄の人々であった。すなわち、明治維新後、新政府はアイヌ民族に対し開拓政策・同化政策などを進めた。この結果アイヌ民族は生活圏を侵害されて窮乏化を余儀なくされ、伝統的文化も奪われた。1899(明治32)年制定の 1 は、明治政府のアイヌ民族への認識と姿勢をよく示している。(b)アイヌ民族の生活と文化を守る運動がその後起こっているのも、このような施策を背景とするものである。一方、沖縄に対する政府の姿勢は、1879(明治12)年、軍隊と警察の力で強引に日本領土化を進めた 2 政策によくあらわれている。アイヌ民族や沖縄の人々への偏見や差別化を象徴するのが、1903(明治36)年に開かれた内国博覧会で、「民族展示」の名のもとに沖縄の女性やアイヌの人々を見せ物にした、いわゆる人類館事件である。
 明治時代が、被差別部落民や女性への新たな政治的・社会的差別が生まれた時代、また、(c)労働者や小作人など社会的弱者が形成され、社会問題化した時代であるとするならば、大正時代は、そうした人々の多くが権利意識に目覚め、生活権や人権の確立を求めて立ち上がった時代であったと考えることができる。特に(d)全国的規模で展開を見た米騒動は、社会運動に新しい地平を切り拓いた。
 たとえば、被差別部落民は、 3 という組織を創設し、「全国に散在する我が特殊部落民よ団結せよ」と訴え、部落解放運動を発展させた。女性解放史のうえで看過できないのは、平塚らいてうらの活動である。平塚らは1911(明治44)年、雑誌 4 を発行し、その創刊号で「元始、女性は実に太陽であった」と高らかに宣言していたが、(e)米騒動後、その活動は飛躍的に拡大・深化したのである。また、労働者や小作人に関しては(f)1921(大正10)年に日本労働総同盟(g)1922(大正11)年に日本農民組合がそれぞれ結成されている。これらは関係者の問題解決のための努力を示すものである。
 
問1 空欄1〜4に該当する語句を記せ。
問2 下線部分(a)について。
 国民の権利や人権問題を最初に提起したのが自由民権運動であるが、同運動について誤った記述をしているものはどれか。
ア 1881(明治14)年、日本最初の全国政党である自由党が板垣退助を党首にして創設された。また、翌年には大隈重信を党首とする立憲改進党も結成された。
イ 1877(明治10)年、高知県の立志社が提出した建白書は運動に大きな影響を与えた。
ウ 岩手県の民権家小田為綱が起草したとされる「憲法草稿評林」は、天皇の廃位・廃帝に言及している。
エ 1887(明治20)年、三大事件建白運動が展開すると、政府は、「集会及政社法」を制定して弾圧した。
オ 福島事件・高田事件・群馬事件・加波山事件・秩父事件・大阪事件など、「激化事件」が1882(明治15)年から1885(明治18)年にかけて多発した。
 
問3 下線部分(b)について。
 アイヌ文化の伝統を守るために尽力しながら夭折した人の遺稿集『コタン』には、「アイヌの研究は同族の手でやりたい、アイヌの復興はアイヌがしなくてはならない強い希望に唆かされ、嬉しい東京を後にして再びコタンの人となった」という記述があるが、筆者は誰か。
 ア 金城マツ   イ 知里真志保   ウ 違星北斗   エ 伊波普猷   オ バチュラー・八重子
 
問4 下線部分(c)について。
 労働者の実態調査の一つとして、1903(明治36)年、政府は日本労働事情調査の古典とも言うべき重要な報告書を提出しているが、それは何か。
 ア 『職工事情』        イ 『女工哀史』        ウ 『労働世界』
 エ 『工場通覧』        オ 『日本之下層社会』
 
問5 下線部分(d)について。
(1) この「騒動」で内閣は総辞職しているが、首相は誰か。
 ア 桂太郎   イ 寺内正毅   ウ 山県有朋   エ 田中義一   オ 山本権兵衛
 
(2) 『大阪朝日新聞』記者としてこの「騒動」を支持した長谷川如是閑、大山郁夫らは舌禍事件にあい辞職に追い込まれた。しかし、彼等はそれからまもなくある雑誌を創刊し、デモクラシーの指導者としての活動を展開したが、それは何か。
 ア 『我等』   イ 『改造』   ウ 『中央公論』   エ 『近代思想』   オ 『社会問題研究』
 
問6 下線部分(e)について。
 大正期から昭和期にかけての女性解放運動について記したものとして誤ったものがあるが、どれか。
ア 1920(大正9)年、平塚らいてう、市川房枝らによって新婦人協会が設立された(趣意書の発表は前年)。同協会は治安警察法第5条の「女子の政治結社・政治集会禁止」条項の撤廃運動などに取り組んだ。また、機関紙『女性同盟』を発行した。
イ 1921(大正10)年に誕生した赤瀾会は、山川菊栄ら婦人社会主義者によって結成された団体である。
ウ 伊藤野枝は女性解放のため旺盛な実践・言論活動を展開した。しかし、内縁の夫の大杉栄とともに、関東大震災の折、殺された。
エ 堺真柄らは自由主義の立場から、1924(大正13)年、婦人参政権獲得期成同盟会を結成し、婦人参政権獲得運動を展開した。同会は翌年、婦選獲得同盟と改称した。
オ 高群逸枝は、1930(昭和5)年、無産婦人芸術連盟を結成し、機関紙『婦人戦線』を発刊して女性解放運動に尽力した。
 
問7 下線部分(f)について。
 日本労働総同盟の起源は友愛会(1912年設立)であるが、この設立に尽力したのは誰か。
 ア 片山潜   イ 賀川豊彦   ウ 杉山元治郎   エ 高野房太郎   オ 鈴木文治
 
問8 下線部分(g)について。
 日本農民組合は日本最初の全国組織の小作人組合であるが、この結成大会が開かれたのはどこか。
 ア 横浜   イ 仙台   ウ 神戸   エ 名古屋   オ 東京
 
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