早稲田大学日本史過去問(法学98)・古代から近世の貨幣史


U 次の文を読み、後の問に答えなさい。
 
 わが国では、早く飛鳥時代に鋳造貨幣が存在したが、これは朝鮮半島から伝来したものであるといわれている。708年には最初の官銭である和同開珎が鋳造され、これに続いて奈良・平安時代に万年通宝・延喜通宝などが発行された。以上を総称して A と呼んでいる。またこれとは別にa8世紀には金銭および銀銭が造られている。律令政府は蓄銭叙位令を定めて銭貨の流通を図ったが、古代社会においてはその普及はきわめて困難であった。しかし、平安時代後期になると中国との貿易を通じて唐の銭貨が日本に流入し始めた。とくに平氏政権では宋銭を大量に輸入したため、広く流通するようになり、いわゆる「銭の病い」が流行することともなった。鎌倉時代に入ると荘園の年貢を貨幣で納める代銭納が見られるようになり、とくに荘園領主の居住地から遠く離れた領地では広く普及している。また、この時代の武士は銭貨流通にきわめて深い関心を示した。近年の発掘調査では中世遺跡からしばしば大量の銭が発見されており、以上のような風潮を裏付けている。14世紀に入ると、b寺社造営に必要な銭を調達するため、中国への貿易船が派遣されるようになった。鎌倉幕府が倒れたのちも流通経済は一層進展し、建武政権を樹立した B は紙幣の発行さえも試みている。このように銭貨の普及が進むと、それを大量に運搬することの困難さから C が利用されるようになった。 C は替銭・替米などとも称され、その手形を割符と呼んだが、定額のものは貨幣のごとく流通する場合があったことが知られている。多様な輸入銭が流通するとともに、商業都市として栄えた堺などでは私鋳銭が大量に造られた。このため室町幕府はc撰銭令を出し、銭貨の流通に統制を加えようとした。戦国時代に入ると、各大名は領国支配の必要性から鉱山経営に力を入れた。佐渡金山や石見の D が著名である。そのため日本は16世紀の世界において有数のd金・銀の産出国となり、国内の流通貨幣なかでも金・銀が大きな地位を占めるようになった。江戸時代に入ると、貨幣鋳造が積極的に行われたが、関東では金が、関西では銀が基本的な決済手段として用いられ、二つの経済圏が形成されるに至った。
 
1 空欄Aに入る語句を漢字5字で記述解答用紙に記しなさい。
2 下線部aについて。これらのうち金銭として正しいものはどれか。次の中から1つ選び、マーク解答用紙の該当記号をマークしなさい。
 (あ) 開基勝宝   (い) 洪武通宝   (う) 永楽通宝   (え) 貞観永宝   (お) 富寿神宝
3 下線部bについて。このような目的で貿易船が派遣されるようになった最初の寺はどれか。次の中から1つ選び、マーク解答用紙の該当記号をマークしなさい。
 (あ) 天竜寺   (い) 相国寺   (う) 建長寺   (え) 円覚寺   (お) 東福寺
4 空欄Bに入る天皇が、輸入銭の増大を憂慮し、古代国家の復活を目指して鋳造を計画した銭貨の名称は何か。漢字4字で記述解答用紙に記しなさい。
5 空欄Cに入る語句を漢字2字で記述解答用紙に記しなさい。
6 下線部cについて。これに関する説明として正しいものを2つ選び、マーク解答用紙の該当記号をマークしなさい。
(あ) この法令を施行することによって幕府は分一銭の収入が増えることを期待していた。
(い) この法令は悪銭や私鋳銭が出回ることを禁止するものであったが、輸入銭を悪銭と定めることはなかった。
(う) この時代の風潮として、取引の際に悪銭を嫌って良銭を選んだり、銭の質に応じて価格差を付けたりすることがあった。
(え) 15世紀後半、守護大名大内氏がこの法令を出し、「さかひ銭」などの流通を禁止している。
(お) 豊臣秀吉が貨幣の統一を行った後、このような法令が出されることはなくなった。
7 空欄Dに入る語句を漢字4字で記述解答用紙に記しなさい。
8 下線部dについて。このことによって展開された南蛮貿易について、もっとも不適当なものを1つ選び、マーク解答用紙の該当記号をマークしなさい。
 (あ) 南蛮貿易の相手国はポルトガルとイスパニアである。
 (い) 南蛮貿易がもたらした鉄砲と火薬が全国統一を促進した。
 (う) 南蛮貿易に関わる主要なアジアの都市としてはマニラ、マカオなどがあった。
 (え) 南蛮貿易に熱心であった島津義久は府内に南蛮寺を建立した。
 (お) 南蛮貿易における日本側の主要な輸出品は銀であった。
 
 解答へ   最上部へジャンプ   日本史問題リストへ