日本史問題(オリジナル早大模試・商学タイプ1)・江戸時代初期の外交


〔商学1〕 次の文章を読んで、下記の問(A〜J)に答えよ。
 
 1600年にオランダ船 イ 号が漂着すると、徳川家康はその乗組員らをロ外交・貿易の顧問として登用した。その後、1609年にはオランダ、 ハ 年にはイギリスの商館がそれぞれ ニ に置かれるなどして、盛んな交易活動が展開された。だが、こうした交易の相手国は、必ずしもヨーロッパの国々に限られたわけではなかった。ホ琉球や蝦夷地との通交があったのは勿論、例えば、朝鮮とは1609年に対馬の宗氏を介してヘ己酉約条が締結され、以降は倭館を拠点とした貿易が行われた。また、当時の ト は倭寇に対する警戒の観点から チ 政策を採用していたため、両国の商人は台湾やマニラなどの南方地域で取引を行わざるを得ず、やむなく リ 貿易の形態をとっていた。しかし、こうした幕府の積極的な外交姿勢は、ヌ幕藩体制の確立が進むにつれて転換されていくこととなり、やがて3代将軍家光の時代に入ってル鎖国体制の完成をみた。
 
問A 空欄イに入るもっとも適当な語句はどれか。
1 サン=フェリペ    2 フェートン    3 リーフデ    4 モリソン    5 デウス
問B 下線部ロの外交・貿易の顧問に該当する人物を2人選べ。
1 ヤン=ヨーステン         2 コスメ=デ=トルレス      3 ルイス=フロイス
4 ウィリアム=アダムス       5 ガスパル=ヴィレラ
問C 空欄ハに入るもっとも適当な算用数字はどれか。
1 1611    2 1613    3 1614    4 1617    5 1618
問D 空欄ニに入るもっとも適当な地名はどれか。
1 坊津    2 長崎    3 平戸    4 堺    5 江戸
問E 下線部ホの琉球や蝦夷地との通交に関する説明として誤っているものを2つ選べ。
1 琉球との交易では、黒砂糖や中国からの交易品などが上納され、日本からは主に銀が輸出された。
2 蝦夷地との貿易は、幕府から公式に交易独占権を保障されていた松前藩の管理下で行われた。
3 琉球は1609年に島津家久の侵攻を受け、薩摩藩領となってからは、日・中両属の形式を余儀なくされた。
4 蝦夷地との交易方式は、当初は場所請負制が採用されていたが、後期には商場知行制に切り替えられた。
5 琉球からは、将軍の代替わりごとに慶賀使、琉球国王の即位毎に謝恩使が派遣され、将軍との謁見が許された。
問F 下線部ヘの己酉約条に関する説明として誤っているものを2つ選べ。
1 この条約は、日本では慶長条約ともよばれる。
2 この条約に基づいて、朝鮮通信使が派遣された。
3 この条約では、日本からの使節は将軍と宗氏に制限された。
4 この条約に基づいて、釜山に倭館が置かれた。
5 この条約では、歳遣船は年30隻に制限された。
問G 空欄ト・チに入る語句の組み合わせとして正しいものはどれか。
1 清・水際    2 清・鎖国    3 明・水際    4 明・鎖国    5 明・海禁
問H 空欄リに入るもっとも適当な語句はどれか。
1 出会    2 密使    3 中継    4 査証    5 海上
問I 下線部ヌの幕藩体制の確立に関連する説明として誤っているものを2つ選べ。
1 幕政を統括する立場にあった老中の下には目付が置かれ、これが旗本・御家人の監察の任にあたった。
2 朝廷・公家および西国大名の監視などを担当した京都所司代は、原則として譜代大名の中から選任された。
3 1615年には一国一城令、武家諸法度元和令、禁中並公家諸法度などの法令が相次いで出された。
4 村政は名主(庄屋・肝煎)・組頭・百姓代からなる村方三役を中心とする本百姓によって運営された。
5 全国の仏教寺院は、本山を頂点として序列化され、重層的な関係へと編成しなおされた。これを寺請制度という。
問J 下線部ルの鎖国体制の完成に関連する説明として誤っているものを2つ選べ。
1 1604年の糸割符制度の制定には、主としてポルトガル商人の暴利を抑制する企図があった。
2 幕府は1612年、天領に対して禁教令を発布すると、その翌年には高山右近らをマニラに追放した。
3 1623年にイギリスが商館を閉鎖すると、翌年、幕府はスペイン船の来航を禁止した。
4 幕府は寛永十年に出された鎖国令において、奉書船以外の海外渡航を堅く禁止した。
5 幕府は1639年にポルトガル船の来航を禁止すると、同年、宗門改役を設置した。

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