〔商学1〕 次の文章を読んで、下記の問(A〜J)に答えよ。
1600年にオランダ船 イ 号が漂着すると、徳川家康はその乗組員らをロ外交・貿易の顧問として登用した。その後、1609年にはオランダ、 ハ 年にはイギリスの商館がそれぞれ ニ に置かれるなどして、盛んな交易活動が展開された。だが、こうした交易の相手国は、必ずしもヨーロッパの国々に限られたわけではなかった。ホ琉球や蝦夷地との通交があったのは勿論、例えば、朝鮮とは1609年に対馬の宗氏を介してヘ己酉約条が締結され、以降は倭館を拠点とした貿易が行われた。また、当時の ト は倭寇に対する警戒の観点から チ 政策を採用していたため、両国の商人は台湾やマニラなどの南方地域で取引を行わざるを得ず、やむなく リ 貿易の形態をとっていた。しかし、こうした幕府の積極的な外交姿勢は、ヌ幕藩体制の確立が進むにつれて転換されていくこととなり、やがて3代将軍家光の時代に入ってル鎖国体制の完成をみた。

