〔政経1〕 次の文章を読み、以下の問いA,Bに答えよ。
昭和史に登場する二人の大蔵大臣の政策が、対照して語られることがある。いわゆる井上財政と高橋財政である。
1929年7月に発足したa浜口民政党内閣の施策の中心は、外相 (1) による外交と、蔵相井上準之助の財政であった。これらは共に国際連盟設立後のbワシントン体制下での対英米協調路線を目指したが、とくにこの内閣にとっての大きな政策課題は、金為替本位制への復帰であった。大戦後、アメリカをはじめ主要国は相次いで復帰を果たしていたが、日本では復帰に備えて、当時信用制度のガンといわれた (2) を処理する必要があった。若槻憲政会内閣はこの処理に当ったが、c最大の債務者であった台湾銀行の救済に失敗して、1927年4月に総辞職した。しかし、この一連の出来事が引き金となって銀行取り付けが続発し、休業する銀行も多く、続いて成立したd田中政友会内閣は、モラトリアム(支払猶予令)を発動して世情の沈静化をはかった。この金融恐慌を経たことで、e三井・三菱・住友・第一・安田の5大銀行よる資本の支配が確立され、また、これらの銀行が余剰資金を海外投資に振り向けることを望んだこともあって、復帰への気運が高まるに至った。井上財政の基本は財政の引き締めであり、デフレ効果による経済の建て直しである。fそして、1929年秋のニューヨークの株式大暴落で始まった世界恐慌の中で、日本の復帰は行なわれたが、為替相場の上昇と相まって輸出入価格は急変し、不況は一段と深刻化した。こうした状況のもとで、政府は1930年2月に総選挙を行ない、民政党が大勝した。この選挙では、g3・15事件の余波で京都大学を追われた (3) が、労農党から立候補して話題になっている。
高橋是清がh犬養政友会内閣の蔵相に就任したのは1931年暮であったが、即日、金輸出の禁止を行なった。高橋財政の特色は、この管理通貨制のもとでの景気対策として、財政の膨張によるインフレ効果をはかったことである。iたとえば、軍事費は、この内閣の成立年から高橋が2・26事件で殺害された1936年までの間に、2倍以上になった。一方、世界の経済は恐慌からの脱出を求めて、資源の確保と輸出の促進を目的としたブロック化が進展し、4大ブロックに分割される傾向を示した。すなわち、イギリスが中心のスターリング・ブロック、フランスブロック、米州ブロック、そして日満ブロックである。