日本史問題(オリジナル早大模試・教育タイプ1)・文治政治への転換と元禄文化


〔教育1〕 次の文を読んで、問1〜12に答えなさい。選択肢が与えられた問についてはそれぞれ該当する記号をマークし、問6・8・10・11については解答を所定の解答欄に記入せよ。
 
 1651年に3代将軍徳川家光が死去すると、同年、a兵学者と牢人を首謀者とする反乱未遂事件がおこった。当時の元号を取って慶安の変ともよばれるこの事件を受けb4代将軍徳川家綱政権は、もはや武断政治が通用しないことを思い知らされ、その政治方針を文治政治による支配体制の確立へと転換した。続いて A から迎えられたc徳川綱吉が5代将軍となると、家綱政権で大老をつとめ‘下馬将軍’の異名を持つ B を罷免し、将軍の命令を老中に伝える職である C を設置するなどして政権を固めた。綱吉は文治政治の方針を踏襲するとともに、d儒教に裏付けられた支配論理を確立したが、これはe諸学問の発達を促すことにもつながった。また、この時期にはf経済・交通および諸産業の発展や、町人層の台頭に由来するg元禄文化の興隆もみられた。その一方で、悪法として名高い生類憐みの令が発せられるなど悪政も多く、6代将軍徳川家宣の侍講をつとめた D のいわゆるh正徳の治により同法は廃止されている。
1 下線aに関して、この事件の首謀者である牢人に該当する人物は誰か。
ア 丸橋忠弥       イ 土岐与左衛門       ウ 大久保忠教
エ 由井正雪       オ 戸次庄左衛門
2 下線bの時代に関連する説明として誤っているものをすべて選べ。
ア 明暦の大火(振袖火事)を契機として、火除地や定火消が設置された。
イ 水戸藩主徳川光圀らによって『大日本史』の編纂が開始された。
ウ 将軍の権威を広く示すため、すべての大名に領地宛行状が発給された。
エ 岡山藩主池田光政により領内に藩校である閑谷学校が設立された。
オ 殉死の禁止と末期養子の禁緩和の両政策は寛文の二大美事と称された。
3 空欄Aに該当するものはどれか。
ア 彦根藩    イ 館林藩    ウ 紀州藩    エ 甲府藩    オ 水戸藩
4 下線cが将軍であった時代の事項でないものをすべて選べ。
ア 富士山大噴火の際、復興のため全国に諸国高役金が掛けられた。
イ シャクシャインの戦いにおいて和人や商船などが襲撃された。
ウ 湯島聖堂が建てられ、林鳳岡が大学頭に任じられた。
エ 近松門左衛門の『曽根崎心中』が初演された。
オ 大嘗祭や加茂葵祭などの朝廷の儀式が再興された。
5 空欄Bに該当する人物は誰か。
ア 間部詮房    イ 柳沢吉保    ウ 酒井忠清    エ 堀田正俊    オ 松平信綱
6 空欄Cに該当する語句は何か。漢字で記せ。
  
7 下線dに関して、儒学者とその著作の組み合わせとして誤っているものをすべて選べ。
ア 伊藤仁斎 ― 『制度通』    イ 太宰春台 ― 『経済要録』    ウ 熊沢蕃山 ― 『大学或問』
エ 山鹿素行 ― 『中朝事実』  オ 荻生徂徠 ― 『弁道』
8 下線eに関して、主著『大和本草』で本草の歴史や植物について解説し、本草学の基礎を築いた人物は誰か。姓名を漢字で記せ。
  
9 下線fに関連する説明として誤っているものをすべて選べ。
ア 麻・藍・紅花は「三草」とよばれ、紅花の主な産地としては出羽国が有名である。
イ 河村瑞賢の尽力で1671年に西廻り航路、その翌年には東廻り航路が開通した。
ウ 元禄期からその使用が開始された脱穀具である千石簁は‘後家倒し’の異名を持つ。
エ 1661年、藩内や旗本領内で使用可能な藩札が越前藩により初めて発行された。
オ 江戸の豪商である井沢弥惣兵衛の協力により1670年に箱根用水が完成した。
10 下線gに関して、装飾画『紅白梅図屏風』の作者として知られる尾形光琳は、漆を塗った上に金銀粉や色粉を固着させて文様を表現する工芸品の制作にも長じたが、この漆工芸のことを一般に何というか。漢字で記せ。
  
11 空欄Dに該当する人物は誰か。姓名を漢字で記せ。
  
12 下線hに関連する説明として誤っているものをすべて選べ。
ア 対外的な将軍の呼称を「国王」から「大君」に改めた。
イ 慶長小判と同等の金含有率を誇る正徳小判を鋳造した。
ウ 朝鮮通信史の待遇を簡素化して経費の節減をはかった。
エ 閑院宮家を創設して朝幕間の融和をはかった。
オ 海舶互市新例では銀による決済が奨励された。

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