日本史問題(オリジナル早大模試・法学タイプ1)・応仁の乱後の社会と戦国時代の終焉


〔法学1〕 次の文を読んで、問に答えなさい。
 
 応仁の乱後、将軍の廃立までもが管領の意向によって決するなど、a下剋上の風潮はいよいよ強まり、各地に戦国大名が割拠し覇権を競う戦国時代が幕を開けた。この時代、戦国大名同士の争いがあったのは言うまでもないが、南北朝の動乱期頃から成立していた惣村においても、用材確保の場としての A の利用や灌漑用水の分配制度である B などをめぐって近接する村落どうしの紛争が頻発した。こうした状況は、戦国大名にとっても領国の支配を揺るがしかねない憂慮すべき事態だった。そのため、大名の中にはb分国法を制定して喧嘩の禁止を規定したものもあった。また、戦国大名と家臣団との間には、俗に C 制といわれる強固な主従関係が存在しており、戦国大名はこれを背景に領国の経済力・軍事組織の強化に努めた。一方、室町時代からこの戦国時代にかけては庶民の台頭が顕著となった時期でもあり、各地にc自治都市を形成したり、d庶民性豊かな文化を生み出したりした。とはいえ、この時代には上下を問わず平和な時代への希求が強まり、戦乱や紛争のない時代の到来が望まれた。ところで、こうした戦乱の世の終結を早めた要因として、輸送技術の発展やe鉄砲隊の登場f製鉄・精錬技術の向上などにも目を向けなければなるまい。また、g織田信長の後を継いで天下人となった豊臣秀吉は、1585年、戦国大名間の一切の私闘を禁止する目的で D を発しているが、これをはじめとする一連の治安政策もやはり戦国時代の終焉を早めた要素の一つと考えてよい。しかし、その豊臣氏もまた E 鐘名事件に端を発する大阪の陣により徳川方に滅ぼされるに至り、以降元和偃武といわれる泰平の世、徳川の時代が訪れたのであった。
1 下線aについて、1493(明応2)年に管領と対立した、時の将軍足利義稙がその地位を追われているが、この管領とは誰か。その姓名を解答欄に記入しなさい。
  
2 空欄Aに入る語句を解答欄に記入しなさい。
  
3 空欄Bに入る語句を解答欄に記入しなさい。
  
4 下線bについて、以下の分国法および家訓のうち、制定された時期が最も早いものはどれか。また、当該法令の内容として最も適切なものはどれか。それぞれ該当するものを各群から1つずつ選び、記号を五十音順に記入しなさい。
 (例 … A群の解答が‘あ’でB群の解答が‘き’なら解答は‘あき’となる)
(A群)
あ 長宗我部氏掟書   い 朝倉英林壁書  う 塵芥集   え 今川仮名目録   お 甲州法度之次第
(B群)
か 惣別分限あらん者、一乗谷へ引越、郷村には代官計り置かるべき事。
き 喧嘩の事、是非に覃ばず成敗を加ふべし。但し取り懸ると雖も堪忍せしむるの輩に於いては、罪科に処すべからず。
く 内儀を得ずして、他国へ音物書札これを遣はす事、一向にこれを停止し畢んぬ。
け 盗賊に付て、親子の咎の事、親の咎ハ子にかけへし。又時宜によるへきなり。
こ 駿・遠両国の輩、或わたくしとして他国より嫁を取、或ハ婿に取、娘をつかはす事、自今以後これを停止し畢んぬ。
  
5 空欄Cに入る語句を漢字4字で解答欄に記入しなさい。
  
6 下線cについて、以下の自治都市のうち、一向宗寺院の境内を中心に形成された寺内町を2つ選びなさい。
あ 富田林    い 坂本    う 宇治山田    え 今井    お 長野
7 下線dについて、今日の盆踊りは、念仏踊りと祭礼や正月の際に盛んに行われた華やかな踊りとが結びついて定着したものだと考えられているが、この華やかな踊りを何というか。漢字2字で解答欄に記入しなさい。
  
8 下線eについて、紀伊の真言宗寺院の僧兵により組織された鉄砲隊が、小牧・長久手の戦いにおいて徳川方についたため豊臣秀吉に滅ぼされているが、この鉄砲隊は一般に何と呼ばれているか。漢字3字で解答欄に記入しなさい。
  
9 下線fについて、16世紀前半に朝鮮からもたらされた「灰吹法」により、精錬技術は格段に進歩し、金・銀の生産量が飛躍的に高まったが、この技術を日本に伝えた博多の商人は誰か。1人選びなさい。
あ 千利休    い 今井宗久    う 小西隆佐    え 島井宗室    お 神谷寿禎
10 下線fについて、以下の あ〜お のうち、最も不適切なものを2つ選びなさい。
あ 信長は1568年に将軍足利義昭を奉じて入京を果たしているが、1573年、将軍の権威回復をめざして敵対した義昭を京都から追放し、室町幕府を滅ぼした。
い 信長は当時、自治都市として隆盛を誇った堺に対して、矢銭とよばれる軍用費を要求しこれが拒否されると、武力を行使して堺を直轄領とした。
う 信長は、中世的諸秩序および権威を否定してはいたが、武家の官位を完全に否定したわけではなく、1575年には右近衛大将、その翌年には右大臣に就任した。
え 信長は1580年、本願寺第11代法主顕如を石山の地から退去させること成功し、ここにおよそ15年間にわたって続いた石山合戦を終結させた。
お 信長は、延暦寺や一向一揆を制圧したのみならず、当時京都の町衆を中心に勢力を築いていた日蓮宗に対しても安土宗論での敗訴を口実に激しい弾圧を加えた。
11 空欄Dに入る語句を漢字4字で解答欄に記入しなさい。
  
12 空欄Eに入る語句を解答欄に記入しなさい。
  

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