桓武朝の施策(摂関政治)

平安遷都

出典:『日本紀略』
 (延暦十二年正月)甲午、大納言藤原小黒麿、左大弁紀古佐美等を遣わし、山背国葛野郡宇太村の地を相せしむ。都を遷さむが為なり。(延暦十三年十月)丁卯……都を遷す。詔して曰く、云々。「葛野の大宮の地は、山川も麗しく、四方の国の百姓の参出で来む事も便りにして云々。」……十一月丁丑、詔したまはく「云々。山勢実に前聞に合ふ、云々。此国の山河襟帯自然に城を作す。斯の形勝に因り、新号を制すべし。宜しく山背国を改めて山城国と為すべし」と。又子来の民、謳歌の輩、異口同辞、号して平安京と曰ふ。
注釈: 平安京遷都前後で、「やましろ」の「しろ」の漢字が異なる点に注意。 
 

平安京造営の停止

出典:『日本後紀』
 (a延暦二十四年十二月壬寅)是の日、中納言近衛大将従三位藤原朝臣内麻呂、殿上に侍す。勅有りて、参議右衛士督従四位下藤原朝臣緒嗣と参議左大弁正四位下菅野朝臣真道とをして、天下の徳政を相論せしむ。時に緒嗣、議して云はく、「方今、天下の苦しむ所はb軍事とc造作と也。此の両事を停めば百姓安んぜむ」と。真道、異議を確執して肯へて聴かず。 d帝、緒嗣の議を善しとし、即ち停廃に従ふ。
注釈: a:805年。 b:蝦夷征討を指す。 c:平安京造営事業のこと。 d:桓武天皇。  
 

健児制

出典:『類聚三代格』
 太政官符す応に健児を差すべき事
 以前、右大臣の宣を被るに偁く、勅を奉るに、今諸国の兵士、a辺要の地を除くの外、皆停廃に従へ。其れ兵庫・b鈴蔵及び国府等の類、宜しく健児を差し、以て守衛に充つべし。宜しく郡司の子弟を簡び差して、番を作り、守らしむべし。
   延暦十一年六月十四日
注釈: a:九州・東北・佐渡のこと。 b:駅家の使用許可証として用いられた駅鈴。
 

格式の編纂

出典:『類聚三代格』弘仁格式序
 蓋し聞く、律は懲粛を以て宗と為し、令は勧誡を以つて本となす。格は則ち時を量りて制を立て、式は則ち闕けたるを補ひ遺れるを拾ふ。……古は世質時素にして法令未だ彰ならず。無為にして治す。粛せずして化す。a推古天皇十二年に曁び、b上宮太子親ら憲法十七箇条を作り、国家の制法茲より始まる。降りて、天智天皇元年に至り、令廿二巻を制す。 世人の所謂る近江朝廷の令也。爰に文武天皇の大宝元年に逮りて、贈太政大臣正一位藤原朝臣不比等、勅を奉り律六巻、令十一巻を撰す。養老二年、復た同大臣不比等、勅を奉りて更に律令を撰し、各十巻と為す。今世に行ふ律令は是なり。
注釈: a:604年。 b:聖徳太子のこと。
 

摂政のはじめ

出典:『日本三代実録』
 (a貞観八年)八月十九日辛卯、b太政大臣に勅して天下の政を摂行せしむ。……廿二日甲午、太政大臣従一位藤原朝臣良房、表を抗げて言すらく、「竊かに以るに、疲驂路に倦み、責むるに逐日の能を以つてし難し。病鶴飛ぶを忘る。豈に其の凌霄の効を望まん。謹んで拝表し以つて聞す」と。許さず。
注釈: a:866年。 b:清和天皇は藤原良房を正式に摂政に任じた。なお、天皇が幼くして即位した858年には既に、良房は事実上の摂政となっていた。
 

関白のはじめ

出典:『政事要略』
 a摂政太政大臣に万機を関白せしむるの詔を賜ふ
詔して、「b朕凉徳を以て茲に乾符を奉ず。……太政大臣の保護扶持に非さるよりは、何ぞ宝命を黄図に恢め、旋機を紫極に正しうするを得んや。嗚呼、三代政を摂り、一心に忠を輸す。先帝、聖明にして其の摂録を仰ぐ。朕の冲眇たる、重ぬるに孤煢を以てす。其れ万機の巨細、百官己に総べ、皆太政大臣に関白し、然る後に奏下すること一に旧事の如くせよ。主る者施行せよ」と。
  c仁和三年十一月廿一日
注釈: a:藤原基経。 b:宇多天皇。なお、基経は884年に光孝天皇を擁立した際、実質的に関白となっている事に注意。 c:887年。
 

貴族社会と浄土教の発展

出典:『往生要集』
 それ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。道俗貴賤、誰か帰せざる者あらむや。ただし顕密の教法は、其の文、一にあらず。事理の業因、其の行惟れ多し。利智精進の人は、未だ難しと為さざるも、a予の如き頑魯の者、豈に敢てせむや。
注釈: a:この史料の作者である源信。
 

道長の栄華

出典:『小右記』
 (a寛仁二年十月)十六日乙巳、今日、女御藤原威子を以て皇后に立つるの日なり。b前太政大臣の第三の娘なり。一家三后を立つること、末だ曾て有らず。……太閤、c下官を招き呼びて云はく、「和歌を読まんと欲す。必ず和すべし」者。答へて云はく、 「何ぞ和し奉らざらむや」と。又云ふ、「誇りたる歌になん有る。但し宿構に非ず」者。「此の世をば我が世とぞ思ふ望月の かけたることも無しと思へば」。d余申して云はく、「御歌優美なり。酬答するに方無し。満座只此の御歌を誦すべし。……」と。諸卿、 余の言に響応して数度吟詠す。太閤和解して殊に和を責めず。……
注釈: a:1018年。 b:藤原道長。 c・d:この日記の作者藤原実資を指す。