律令制支配の破綻と荘園の発達

律令制支配の破綻

出典:『三善清行意見封事十二箇条』
 a臣、去る寛平五年に備中介に任ず。かの国の下道郡に、邇磨郷あり。ここに彼の国の風土記を見るに、b皇極天皇六年に、大唐の将軍蘇定方、新羅の軍を率ゐ百済を伐つ。百済使を遣わし、救はんことを乞ふ。天皇筑紫に行幸したまひ、将に救の兵を出さんとす。 ……路に下道郡に宿したまふ。一郷を見るに戸邑甚だ盛なり。天皇詔を下し、試みに此の郷の軍士を徴したまふ。即ち勝兵二万人を得たり。天皇大に悦びて、この邑を名づけて二万郷と曰ふ。後に改めて邇磨郷と曰ふ。
 ……天平神護年中に、右大臣c吉備朝臣、大臣といふを以つて本郡の大領を兼ねたり。試みに此の郷の戸口を計ふるに、纔に課丁千九百余人ありき。貞観の初め、故民部卿藤原保則朝臣、彼の国の介たりし時に、……大帳を計ふるの次でに、その課丁を閲するに、七十余人ありしのみ。 清行任に到り又この郷の戸口を閲せしに、老丁二人・正丁四人・中男三人ありしのみ。去にし延喜十一年、彼の国の介藤原公利、任満ちて都に帰りたりき。清行問ふ、「邇磨郷の戸口当今幾何ぞ」と。公利答へて云はく、「一人もあることなし」と。謹みて年紀を計ふるに、皇極天皇六年庚申より、延喜十一年辛未に至るまで、纔に二百五十二年、衰弊の速かなること、また既にかくのごとし。一郷を以てこれを推すに、天下の虚耗、掌を指して知るべし。
注釈: a:三善清行。 b:660年。また、この時点では既に、皇極天皇は重祚し、斉明天皇となっていた。 c:吉備真備。
 

受領の暴政

出典:『尾張国解文』
 尾張国郡司百姓等解し申し、官裁を請ふの事
 裁断せられんことを請ふ、当国の守藤原朝臣元命、三箇年の内に責め取る非法の官物、并びに濫行横法三十一箇条の愁状
  a永延二年十一月八日 郡司百姓等
注釈: a:988年。 
 

大名田堵の農業経営

出典:『新猿楽記』
 三の君の夫は、出羽権介田中豊益、偏に耕農を業と為し、更に他の計なし。数町の戸主、大名の田堵なり。兼ねて水旱の年を想ひて鋤・鍬を調へ、暗に腴え迫せたる地を度り、馬杷・犁を繕ふ。或いは堰塞・堤防・溝渠・畔畷の忙に於て、田夫農人を育ひ、或いは種蒔・苗代・耕作・播殖の営に於て、五月男女を労ふの上手なり。作るところの稙穜・粳糯、苅穎他人に勝れ、舂法毎年に増す。……
注釈: ★この史料の作者は藤原明衡。
 

荘園の寄進

出典:『東寺百合文書』
 鹿子木の事
一、当時の相承は、開発領主沙弥、寿妙嫡々相伝の次第なり。
一、寿妙の末流の高方の時、権威を借らんがために、実政卿を以て領家と号し、年貢四百石を以つて割き分ち、高方は庄家領掌進退の預所職となる。
一、実政の末流願西微力の間、国衙の乱妨を防がず。この故に願西、領家の得分二百石を以つて高陽院内親王に寄進す。件の宮薨去の後、御菩提の為に、勝功徳院を立てられ、かの二百石を寄せらる。其の後、美福門院の御計としてa御室に進付せらる。これ則ち本家の始めなり。……
注釈: a:京都御室の仁和寺を指す。 ★この史料が加賀藩主前田綱紀にとって寄進されたことは有名。
 

延久の荘園整理令

出典:『百錬抄』
 (a延久元年二月)廿三日、b寛徳二年以後の新立荘園を停止すべし、縦ひかの年以往と雖も、立券分明ならず、国務に妨けある者は、同しく停止の由宣下す。
 閏二月十一日、始めて記録庄園券契所を置き、寄人等を定む。
注釈: a:1069年。 b:1045年。
 

記録所の設置

出典:『愚管抄』
 コノ後三条位ノ御時、……延久ノ記録所トテハジメテヲカレタリケルハ、諸国七道ノ所領ノ宣旨・官符モナクテ公田ヲカスムル事、一天四海ノ巨害ナリトキコシメシツメテアリケルハ、スナハチa宇治殿ノ時、b一ノ所ノ御領御領トノミ云テ、庄園諸国二ミチテ受領ノツトメタヘガタシナド云ヲ、キコシメシモチタリケル二コソ。サテ宣旨ヲ下サレテ、諸人領知ノ庄園ノ文書ヲメサレケルニ、宇治殿ヘ仰ラレタリケル御返事ニ、「皆サ心エラレタリケルニヤ。五十余年君ノ御ウシロミヲツカウマツリテ候シ間、 所領モチテ候者ノ強縁二センナド思ツヽヨセタビ候ヒシカバ、サニコソナンド申タルバカリニテマカリスギ候キ。……
注釈: a:藤原頼通のこと。 b:摂関家という意味。

桓武朝の施策(摂関政治)

平安遷都

出典:『日本紀略』
 (延暦十二年正月)甲午、大納言藤原小黒麿、左大弁紀古佐美等を遣わし、山背国葛野郡宇太村の地を相せしむ。都を遷さむが為なり。(延暦十三年十月)丁卯……都を遷す。詔して曰く、云々。「葛野の大宮の地は、山川も麗しく、四方の国の百姓の参出で来む事も便りにして云々。」……十一月丁丑、詔したまはく「云々。山勢実に前聞に合ふ、云々。此国の山河襟帯自然に城を作す。斯の形勝に因り、新号を制すべし。宜しく山背国を改めて山城国と為すべし」と。又子来の民、謳歌の輩、異口同辞、号して平安京と曰ふ。
注釈: 平安京遷都前後で、「やましろ」の「しろ」の漢字が異なる点に注意。 
 

平安京造営の停止

出典:『日本後紀』
 (a延暦二十四年十二月壬寅)是の日、中納言近衛大将従三位藤原朝臣内麻呂、殿上に侍す。勅有りて、参議右衛士督従四位下藤原朝臣緒嗣と参議左大弁正四位下菅野朝臣真道とをして、天下の徳政を相論せしむ。時に緒嗣、議して云はく、「方今、天下の苦しむ所はb軍事とc造作と也。此の両事を停めば百姓安んぜむ」と。真道、異議を確執して肯へて聴かず。 d帝、緒嗣の議を善しとし、即ち停廃に従ふ。
注釈: a:805年。 b:蝦夷征討を指す。 c:平安京造営事業のこと。 d:桓武天皇。  
 

健児制

出典:『類聚三代格』
 太政官符す応に健児を差すべき事
 以前、右大臣の宣を被るに偁く、勅を奉るに、今諸国の兵士、a辺要の地を除くの外、皆停廃に従へ。其れ兵庫・b鈴蔵及び国府等の類、宜しく健児を差し、以て守衛に充つべし。宜しく郡司の子弟を簡び差して、番を作り、守らしむべし。
   延暦十一年六月十四日
注釈: a:九州・東北・佐渡のこと。 b:駅家の使用許可証として用いられた駅鈴。
 

格式の編纂

出典:『類聚三代格』弘仁格式序
 蓋し聞く、律は懲粛を以て宗と為し、令は勧誡を以つて本となす。格は則ち時を量りて制を立て、式は則ち闕けたるを補ひ遺れるを拾ふ。……古は世質時素にして法令未だ彰ならず。無為にして治す。粛せずして化す。a推古天皇十二年に曁び、b上宮太子親ら憲法十七箇条を作り、国家の制法茲より始まる。降りて、天智天皇元年に至り、令廿二巻を制す。 世人の所謂る近江朝廷の令也。爰に文武天皇の大宝元年に逮りて、贈太政大臣正一位藤原朝臣不比等、勅を奉り律六巻、令十一巻を撰す。養老二年、復た同大臣不比等、勅を奉りて更に律令を撰し、各十巻と為す。今世に行ふ律令は是なり。
注釈: a:604年。 b:聖徳太子のこと。
 

摂政のはじめ

出典:『日本三代実録』
 (a貞観八年)八月十九日辛卯、b太政大臣に勅して天下の政を摂行せしむ。……廿二日甲午、太政大臣従一位藤原朝臣良房、表を抗げて言すらく、「竊かに以るに、疲驂路に倦み、責むるに逐日の能を以つてし難し。病鶴飛ぶを忘る。豈に其の凌霄の効を望まん。謹んで拝表し以つて聞す」と。許さず。
注釈: a:866年。 b:清和天皇は藤原良房を正式に摂政に任じた。なお、天皇が幼くして即位した858年には既に、良房は事実上の摂政となっていた。
 

関白のはじめ

出典:『政事要略』
 a摂政太政大臣に万機を関白せしむるの詔を賜ふ
詔して、「b朕凉徳を以て茲に乾符を奉ず。……太政大臣の保護扶持に非さるよりは、何ぞ宝命を黄図に恢め、旋機を紫極に正しうするを得んや。嗚呼、三代政を摂り、一心に忠を輸す。先帝、聖明にして其の摂録を仰ぐ。朕の冲眇たる、重ぬるに孤煢を以てす。其れ万機の巨細、百官己に総べ、皆太政大臣に関白し、然る後に奏下すること一に旧事の如くせよ。主る者施行せよ」と。
  c仁和三年十一月廿一日
注釈: a:藤原基経。 b:宇多天皇。なお、基経は884年に光孝天皇を擁立した際、実質的に関白となっている事に注意。 c:887年。
 

貴族社会と浄土教の発展

出典:『往生要集』
 それ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。道俗貴賤、誰か帰せざる者あらむや。ただし顕密の教法は、其の文、一にあらず。事理の業因、其の行惟れ多し。利智精進の人は、未だ難しと為さざるも、a予の如き頑魯の者、豈に敢てせむや。
注釈: a:この史料の作者である源信。
 

道長の栄華

出典:『小右記』
 (a寛仁二年十月)十六日乙巳、今日、女御藤原威子を以て皇后に立つるの日なり。b前太政大臣の第三の娘なり。一家三后を立つること、末だ曾て有らず。……太閤、c下官を招き呼びて云はく、「和歌を読まんと欲す。必ず和すべし」者。答へて云はく、 「何ぞ和し奉らざらむや」と。又云ふ、「誇りたる歌になん有る。但し宿構に非ず」者。「此の世をば我が世とぞ思ふ望月の かけたることも無しと思へば」。d余申して云はく、「御歌優美なり。酬答するに方無し。満座只此の御歌を誦すべし。……」と。諸卿、 余の言に響応して数度吟詠す。太閤和解して殊に和を責めず。……
注釈: a:1018年。 b:藤原道長。 c・d:この日記の作者藤原実資を指す。
 

奈良時代の法令と政策

和同開珎の鋳造

出典:『続日本紀』
 a和銅元年春正月乙巳、武蔵国秩父郡、和銅を献ず。詔して曰く、「……東の方武蔵国に自然作成和銅出在と奏して献焉。……故、改慶雲五年而和銅元年として御世年号と定賜ふ」と。……五月壬寅、始て銀銭を行ふ。……八月己巳、始て銅銭を行ふ。
注釈: a:708年。  
 

蓄銭叙位令

出典:『続日本紀』
 (a和銅四年冬十月甲子)詔して曰はく、「夫れ銭の用なるは、財を通して有无を貿易する所以なり。当今、百姓なお習俗に迷ひて未だ其の理を解せず。僅に売買すと雖も、猶ほ銭を蓄ふる者无し。其の多少に随ひて節級して位を授けむ。其れ従六位以下、蓄銭一十貫以上有らん者には、位一階を進めて叙せよ。……」
注釈: a:711年。  
 

三世一身の法

出典:『続日本紀』
 (a養老七年四月)辛亥、太政官奏すらく、「頃者、百姓漸く多くして、田池窄狭なり。望み請ふらくは、天下に勧め課せて、田疇を開闢かしめん。其の新たに溝池を造り、開墾を営む者有らば、多少を限らず、給ひて三世に伝へしめむ。若し旧き溝池を逐はば、其の一身に給せん」と。奏可す。
注釈: a:723年。  
 

墾田永年私財法

出典:『続日本紀』
 (a天平十五年五月)乙丑、詔して曰く、「聞くならく、墾田はb養老七年の格に依り、限満つるの後、例に依りて収授す。是に由りて農夫怠倦して、開ける地復た荒る、と。今より以後は、任に私財と為し、三世一身を論ずること無く、咸悉く永年取る莫れ。其の親王の一品及び一位には五百町、二品及び二位には四百町、……初位已下庶人に至るまでは十町、但し郡司には、大領・少領に三十町、主政・主帳に十町。……」と。
注釈: a:743年。 b:三世一身法を指す。  
 

国分寺建立

出典:『続日本紀』
 (a天平十三年三月)乙巳、詔して曰く、「b朕薄徳を以て忝く重任を承け、未だ政化を弘めず、寤寐多く慚づ。……宜しく天下の諸国をして、各敬みて七重塔一区を造り、并せて金光明最勝王経・妙法蓮華経各一部を写しむべし。……又国毎の僧寺には封五十戸、水田十町を施せ。尼寺には水田十町。僧寺には必ず廿僧有らしめ、其の寺の名をば、金光明四天王護国之寺と為し、尼寺には一十尼ありて、其の寺の名を法華滅罪之寺と為し、両寺相共に宜しく教戒を受くるべし。……」と。
注釈: a:741年。 b:聖武天皇のこと。  
 

大仏の造立

出典:『続日本紀』
 (a天平十五年)冬十月辛巳、詔して曰く「……粤に天平十五年歳次る癸未十月十五日を以て、菩薩の大願を発して、盧舎那仏の金銅像一軀を造り奉る。……夫れ天下の富を有つ者はb朕なり。天下の勢を有つ者も朕なり。この富勢を以て、此の尊像を造る。事や成り易き、心や至り難し。……」と。
注釈: a:743年。 b:聖武天皇。

律令国家の形成

改新の詔

出典:『日本書紀』
 (a大化)二年春正月甲子の朔、賀正礼畢りて、即ち改新之詔を宣ひて曰く、
 其の一に曰く、昔在の天皇等の立てたまへる子代の民、処処の屯倉、及び別には臣・連・伴造・国造・村首の所有る部曲の民、処処の田荘を罷めよ。仍て食封を大夫より以上に賜うこと、各差有らん。……
 其の二に曰く、初めて京師を修め、畿内・国司・郡司・関塞・斥候・防人・駅馬・伝馬を置き、鈴契を造り、山河を定めよ。
 其の三に曰く、初めて戸籍・計帳・班田収授の法を造れ。……
 其の四に曰く、旧の賦役を罷め、田の調を行へ。……別に戸別の調を収れ。
注釈: a:646年。  
 

律令下の里と戸

出典:『令義解』戸令
 凡そ戸は、五十戸を以て里と為よ。里毎に長を一人置け。戸口を検校し、……賦役を催駈することを掌る。
 凡そ計帳を造らむことは、年毎に六月の卅日の以前に、京国の官司、所部の手実責へ。具に家口・年紀を注せよ。……
 凡そ戸籍は、六年に一たび造れ。十一月上旬より起りて、式に依て勘ヘ造れ。里別に巻と為せ。惣べて三通写せ。二通は太政官に申し送れ。一通は国に留めよ。
 凡そ戸籍は、恒にa五比留めよ。其れ遠き年のは、次に依て除け。近江の大津の宮の庚午の年の籍は除くことせず。
注釈: a: 一比は6年にあたる。つまり「戸籍は30年保管せよ」という意味。 
 

律令下の田制

出典:『令義解』田令
 凡そ田は、長さ卅歩・広さ十二歩を段と為よ。十段を町と為よ。段の租稲二束二把。町の租稲廿二束。
 凡そ口分田を給はむことは、男に二段。女は三分が一滅せよ。五年以下には給はず。其地、寛狭有らば、郷土の法に従へよ。a易田は倍して給へ。給ひ訖りなば、具に町段及び四至録せよ。
 凡そ諸国の公田は、皆国司郷土の估価に随ひてb賃租せよ。其の価は太政官に送り、以て雑用に充てよ。
 凡そ田は、六年に一たび班へ。神田、寺田は此の限に在らず。若し身死にたるを以て田退すベくは、班年に至らむ毎に、即ち収り授ふに従へよ。
注釈: a:農業に適さない「やせた土地」のこと。 b:土地を貸し付けて、地子(賃料)を得ること。ちなみに地子は収穫の2割であった。
 

律令下の税制

出典:『令義解』賦役令
 凡そ調の絹・絁・糸・綿・布は、並びに郷土の所出に随へよ。正丁一人に、絹・絁八尺五寸、……次丁二人、中男四人は、各一正丁に同じ。……
 凡そ調は皆近きに随ひ合せ成せ。……具に国・郡・里、a戸主の姓名、年月日を注し、各国印を以て印せ。
 凡そ正丁の歳役は十日。若し庸収る須くは、布二丈六尺。……中男、及び京・畿内は、庸収る例には在らず。……
 凡そ令条の外の雑徭は、人毎に均しく使へ。総べて六十日に過ぐることを得じ。
注釈: a:その戸の直接の統括者。  
 

律令下の軍制

出典:『令義解』軍防令
 凡そ兵士簡び点さむ次は、皆比近をして団割せしめよ。点して軍に入るべくは、同戸の内に、三丁毎に一丁を取れ。
 凡そ兵士の上番せむは、京に向はむは一年、防に向はむは三年、行程を計へず。
 凡そ兵士の京に向ふをば、衛士と名づく。辺守るをば、a防人と名づく。
注釈: a:この任に就いたのは、東国の農民に限られた。
 

遣隋使の派遣と仏教の公伝

遣隋使の派遣1

出典:『隋書』倭国伝
 a開皇二十年、倭王あり、姓は阿毎、字はb多利思比孤、阿輩雞彌と号す。使を遣はして闕に詣る。……
 c大業三年、其の王多利思比孤、d使を遣はして朝貢す。使者曰く「聞くならく、海西の菩薩天子重ねて仏法を興すと。故、遣はして朝拝せしめ、兼ねて沙門数十人、来りて仏法を学ぶ」と。其の国書に曰く、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや、云々」と。e帝、之を覧て悦ばず、鴻臚卿に謂ひて曰く、「蛮夷の書、無礼なる有らば、復た以て聞する勿れ」と。明年、上、文林郎裴清を遣はして倭国に使せしむ。
注釈: a:600年。 b:推古天皇。 c:607年。 d:小野妹子。 e:隋の煬帝。
 

遣隋使の派遣2

出典:『日本書紀』
 (a推古天皇十五年)秋七月戊申の朔庚戌、大礼小野臣妹子を大唐に遣す。鞍作福利を以て通事とす。……
 ……(九月)辛巳、唐の客裴世清、罷り帰りぬ。則ち復小野妹子臣を以て大使とす。吉士雄成を以て小使とす。福利を通事とす。唐の客に副へて遣す。爰に天皇、唐の帝を聘ふ。其の辞に曰く、「東の天皇、敬みて西の皇帝に白す。使人鴻臚寺の掌客裴世清等至りて、久しき憶、方に解けぬ。……」と。是の時に、唐の国に遣はすは学生倭漢直福因・奈羅訳語恵明・b高向漢人玄理・新漢人大圀、学問僧新漢人c日文、南淵漢人請安・志賀漢人慧隠・新漢人広済等、并て八人なり。
注釈: a:607年。 b:のちに大化の改新で僧旻とともに国博士となる。 c:僧旻。
 

仏教の伝来1

出典:『扶桑略記』
 a継体天皇即位十六年壬寅、大唐漢人案部村主b司馬達止、此の年の春二月に入朝す。即ち草堂を大和国高市郡坂田原に結び、本尊を安置し、帰依礼拝す。世を挙げて皆云う、「是れ大唐の神なり」と。
注釈: a:522年。 b:司馬達等のこと。彼は鞍作鳥(止利仏師)の祖父。
 

仏教の伝来2

出典:『上宮聖徳法王帝説』
 a志癸嶋天皇の御世に、b戊午の年の十月十二日に、c百斉国の主明王、始めて仏の像経教并て僧等を度し奉る。勅して蘇我稲目宿禰大臣に授け、興し隆えしむ。
注釈: a:欽明天皇のこと。 b:538年。 c:百済の聖明王を指す。
 

仏教の伝来3

出典:『日本書紀』
 (a欽明天皇十三年)冬十月、百済の聖明王、……釈迦仏の金銅像一軀、幡蓋若干、経論若干巻を献る。……(天皇)乃ち群臣に歴問して曰はく、「西蕃の献れる仏の相貌端厳し。全ら未だ曾て有ず。礼ふべきや不や」と。蘇我大臣稲目宿禰奏して曰さく、「西蕃の諸国、一らに皆礼ふ。豊秋日本、豈独り背かんや」と。物部大連尾輿、中臣連鎌子、同じく奏して曰さく、「我が国家の、天下に王とましますは、恒に天地社稷の百八十神をもて、春夏秋冬、祭拝りたまふことを事とす。方に今改めてb蕃神を拝みたまはば、恐るらくは国神の怒を致したまはん」と。天皇曰く、「情願ふ人稲目宿禰に付けて、試に礼ひ拝ましむべし」と。
注釈: a:552年。 b:読みは「あだしくにのかみ」。他の国の神(仏)という意味。

大和政権による地方支配

石上神宮七支刀銘

出典:七支刀銘
[表]
 a泰和四年□月十六日、丙午正陽、百練鉄b七支刀を造る。□百兵を辟く。供供たる侯王を宜しくす。□□□□作。
[裏]
 先世以来、未だ此の刀有らず。百済王世子、奇生聖音、故に倭王旨の為めに造り、後世に伝示せむとす。
注釈: a:369年。 b:この両刃の刀を所蔵する石上神宮の祭祀は物部氏が司った。
 

支配領域の拡大1

出典:江田船山古墳出土鉄刀銘
 天の下治めすa獲□□□鹵大王の世、奉□典曹人、名は无□弖、八月中、大ひなる鋳釜と、并せて四尺の廷刀とを用ゐ、八十たび練り、六十たび捃じたる三寸上好の□刀なり。此の刀を服する者は長寿、子孫注々三恩を得る也。其の統ぶる所を失わざらむ。刀を作れる者の名は伊太□、書せる者は張安也。
注釈: a:読みは「ワカタケル」。 ★上記史料は片刃の刀である。
 

支配領域の拡大2

出典:稲荷山古墳出土鉄剣銘
[表]
 a辛亥年七月中記す。乎獲居臣、上祖の名は意冨比垝、其の児多加利足尼、其の児名は弖已加利獲居、其の児名は多加披次獲居、其の児名は多沙鬼獲居、其の児名は半弖比、
[裏]
 其の児名は加差披余、其の児名は乎獲居臣、世々杖刀人の首と為り、奉事し来たり今に至る。b獲加多支鹵大王の寺斯鬼宮に在る時、吾、天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事せる根原を記す也。
注釈: a:471年か。 b:雄略天皇にあたる。 ★上記史料は両刃の剣である。
 

支配領域の拡大3

出典:隅田八幡神社(宮)人物画像鏡銘
 a癸未年八月日十、大王の年、b男弟王、c意柴沙加宮に在ませし時、斯麻、長寿を念じ、開中費直穢人・今州利二人等を遣わし、白上同二百旱を取り、此竟を作る。
注釈: a・b:癸未年が503年だと仮定すると、男弟王は即位前の継体天皇を指すことになる。 c:読みは「おしさか」。 ★上記史料は鏡の裏面に刻まれている。
 

大和政権の地方支配

出典:『日本書紀』
 a(継体天皇)二十一年夏六月壬辰の朔甲午、近江毛野臣、衆六万を率て、任那に往きて、新羅に破られし南加羅・喙己呑を為復し、興建てて、任那に合わせんとす。是に、筑紫国造磐井、陰に叛逆くことを謨りて、猶預して年を経。……新羅、是を知り、密に貨賂を磐井が所に行りて、勧むらく、毛野臣の軍を防遏へよと。是に、磐井、b火・豊、二つの国に掩ひ拠て、使修職らず。……
 二十二年冬十一月甲寅の朔甲子、大将軍物部麁鹿火、親ら賊の帥磐井と、筑紫の御井郡に交戦ふ。……遂に磐井を斬りて、果して疆場を定む。十二月に、筑紫君葛子、父の罪に坐りて誅せられむことを恐りて、糟屋c屯倉を献りて、死罪贖はんことを求す。
注釈: a:磐井の乱があった527年。 b:九州北部にある。 c:大和政権の直轄地。

古代の大陸交渉

紀元前一世紀の日本

出典:『漢書』地理志
 夫れ楽浪海中に倭人有り。分れて百余国と為る。a歳時を以て来り献見すと云ふ。
注釈: a:「定期的に」の意。
 

一・二世紀の日本

出典:『後漢書』東夷伝
 a建武中元二年、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜ふに印綬を以てす。
 b安帝の永初元年、倭の国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願ふ。
 c桓霊の間、倭国大いに乱れ、更相攻伐して歴年主なし。
注釈: a:57年。 b:107年。 c:後漢の桓帝と霊帝の在位期間(147〜189年)。 
 

邪馬台国

出典:『魏志』倭人伝
〔位置〕
 倭人は帯方の東南大海の中に在り、山島に依りて国邑を為す。旧百余国。漢の時朝見する者あり。今、使訳通ずる所三十国。
〔習俗・社会〕
 ……国々に市あり。有無を交易し、大倭をしてこれを監せしむ。
 女王国より以北には、特に一大率を置き、諸国を検察せしむ。諸国これを畏憚す。常に伊都国に治す。
 下戸、大人と道路に相逢えば、逡巡して草に入り、辞を伝え事を説くには、或は蹲り或は跪き、両手は地に拠り、之が恭敬を為す。……
〔大陸交渉〕
 a景初二年六月、倭の女王、大夫難升米等を遣はし郡に詣り、天子に詣りて朝献せむことを求む。太守劉夏、吏を遣はし、将つて送りてb京都に詣らしむ。
 その年十二月、詔書して倭の女王に報じて曰く、「……今汝を以て親魏倭王と為し、金印紫綬を仮し、装封して帯方の太守に付し仮授せしむ。……」と。
〔卑弥呼死後〕
 卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。径百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。更に男王を立てしも、国中服せず。更々相誅殺し、当時千余人を殺す。また卑弥呼の宗女壱与年十三なるを立て王と為す。国中遂に定まる。……
注釈: a:史料自体の誤表記。正しくは景初三年(西暦239年)だと考えられる。 b:魏の都である洛陽のこと。
 

朝鮮半島への軍事的進出

出典:高句麗好太王碑文
 百残・新羅は旧是れ属民也。由来朝貢す。而るに倭、a辛卯の年よりこのかた、海を渡りて百残・□□・□羅を破り、以て臣民と為す。b六年丙申を以て王躬ら水軍を率ゐ、残国を討科す。……
注釈: a:391年。 b:396年。この年、高句麗好太(広開土)王が即位している。
 

南朝との交渉

出典:『宋書』倭国伝
 ……興死して弟武立つ。自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍倭国王と称す。
 a順帝の昇明二年、使を遣わし上表をして曰く、「封国は偏遠にして、藩を外に作す。昔より祖禰躬ら甲冑を擐き、山川を跋渉して寧処に遑あらず。東はb毛人を征すること五十五国、西はc衆夷を 服すること六十六国、渡て海北を平ぐること九十五国。」と。詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王に除す。
注釈: a:478年。 b:蝦夷のこと。 c:あるいは熊襲のことを指すか。